2011/07/24

緩やかでもステップアップ

投薬開始の6月からほぼ2ヶ月。無事に毎日、毎朝、摂取できてます。

個人差はあるだろうけど、自分の感じた副作用の事象。
  • 一時的な発熱
  • 一時的な頭痛
  • 軽い嘔吐感
  • 断片的に続く下痢
  • 一時的な強度の倦怠感
  • 倦怠感はあるけど、活力旺盛
  • 食欲、性欲旺盛
最後の「食欲、性欲旺盛」というのは、
不思議だけど、眠りに落ちて1〜2時間後くらいにどうも起きてて、飲み食いしてるらしい。一切記憶にない当初は、夢遊病か?と真面目に相談したけど、冷蔵庫を開けた記憶はあったり…。ある意味“夢遊病でない”として安心ではあるが、夜な夜な冷蔵庫を漁る自分っていうのも我ながら恥ずかしく酷い。食欲旺盛ととりあえず、括ります。(苦笑)
「性欲旺盛」というのは、 人肌恋しく感じたり、H動画をみたり、オナニーしたり…。HIV発覚前からかれこれ何年になるんだろう…そういう一線を超えた関係はないからか、投薬開始後滞りなく摂取できてる安堵感から生まれた気持ちの余裕なんだろうか?投薬開始前後の自分を比較すると、そういうことも変化の一つとして感じてしまう。

Twitterでは、投薬開始後1ヶ月後の血液検査結果をツイートしたけれど、
・CD4 364
・ウィルス 860コピー
ウィルスは激減してるが、担当医としては少し期待はずれで、もう少し激減を期待してた模様だった。

期待してたのは、目下皮膚疾患(発疹、湿疹、蕁麻疹、痒み)の改善だ。
幹部に紫外線を意図的にあたる治療。これにも効果が出てるのか、かゆみ止めを飲む頻度は徐々に減っていっている。

投薬開始の6月からは、毎週通院している。毎週は皮膚科のみ、隔週で血液内科へ。
正直、通院が大変だ。
定時があってないような会社、勤務業態ではあるものの、時間を確保するにも気が引ける。そういう意味でも、皮膚科の毎週というのは、本当に辛い。午前中に終わってくれるのが幸いだが、毎週は毎週。だけど、なんというのだろうか…メンタル的にはとても助かる。

自分はHIVであることを知ってもらってるし、その上で治療をしてくれている訳で、
どの科を受診しても、こちらの気付けない懸念事項にも把握できる。(当たり前か…)

そういう意味で、目を見て、きちんと話ができる限られた人だ。
自分には告知できる知り合いは、ここを通して出会った方々のみ。そんなだからか、自分には大きな意義がある。
  • 毎週会える。
  • 何かあったら毎週告知するチャンスがある。
自分にとっての駆け込み寺は、他にはなく、病院である。そういう状況の自分には、メンタル的にとても助かる。先生の顔を見るだけで、ホッとする。
閉鎖的な世界観だけど、“今週も無事に先生に会えた” と心底安堵感を抱く。

どんな病でも、向きあう姿勢をどんなに強く持っていても、不安や自分なりの収集知識で肩こりのように凝り固まってしまうこともあるんだと思う。今のところ、手探りにはかわりないけど、HIVが起因での出てくる杭は打つ!が、自分なりの向き合い方なのだろう。自分としっかり向きあう時間として、大切にしないと。

2011/05/22

些細なことが大きなこと

自分がHIVを疑いはじめた頃、やっぱり、誰にも言えず、自覚症状とHIVを結びつけて、あれこれとネットで検索してた。

疑っていた頃も、HIV+と診断された後も、ただ漠然とした不安だけを背負い込んで日々を過ごし、また、不安と共に、ネットでいろいろ検索したり…。

自分には多くのゲイフレンドはいないし、いつの日か読み続けてたブログの主に便りを送りたいと思えるほど、親近感と親和を感じてた。普通に日々を過ごす姿は、どことなくたくましく思えて、僅かな行き来のメールでも、我を顧みられたり、これから自分がすることについて、生きる視点でいろいろ思ったりもした。

HIV系の各種団体もいろいろ存在してるのだろうが、ある団体からリンクの話をいただいた。

判らない時は判らないなりに模索するのも本能だし、誰かの言葉に何か感じ取ったり気付いたりするもの。

それぞれに、自分なりに向き合う視点や向き合い方を見つけるときの参考にしてくれるのであれば、幸い。

web NEST
許諾応答は返ってきてないけど、依頼をもらった団体のバナーをリメイクした。
歓迎されない状況なのだろうが、他のHIV+のブログは多々あり、それぞれの綴る言葉と合わせて、役立てられるのであれば、幸い。

2011/05/20

賽は投げられた

GW前、仕事は落ち着いたものの、気が緩んだのか、体調は急降下。
GWは、昔の同僚と会ったくらいで、おとなしくしてた。

そして、GW明け、突発的に頭痛と歯痛が起こり、湿疹の痒みも増す一方で、全てに集中できず、湿疹は顔や頭にも現れ、逆に同僚の方がびびる始末。

なんやかんや言って、はじめて会社をフルで休んだ。しかも、2回。1週のうち2日間。GW明けというのに2日も…。

“やつれたね、大丈夫?” 同僚の優しく接する言葉に心が折れそうになる。
自分でも予兆や目途を感じながら不調と向き合ってきたものの、全く先も見込みも付けられない具合に、自分自身が一番困惑してた。

何とか定期検診までもたせて、診察に挑んだものの、混み合ってて、他の診察とブッキングしまくって、次週に延期となった先週。

今週やっと診察をしてきた。

  • 皮膚炎の薬とビタミン剤は、朝7時〜午後1時、この時間には必ず薬を摂取できてた。
  • 夜は夜で、午後11時〜午前4時までに、必ず摂取できた。

割と落ち着いてる時期だから、こなせた訳だけど、
年中週3〜4日会社に泊まってる訳でないので、これを基準にしていいだろう。

  • ツルバダ 1錠
  • プリジスタナイーブ 2錠
  • ノービアソフト 1錠

これが提案された処方箋。
 業務状況を考慮し、1日1回の摂取。

“スタートできるときにスタートしてください” そう言われ、賽は投げられた。

懸念される副作用は、嘔吐。明日午前も午後もMtgがあるものの、明日から始めるべきか、土曜日から始めるべきか…

オレンジ2つと、空色1つ。真っ白な雲1つ。
慢性化しつつあるこの皮膚炎に兆しがもてる唯一の方法でもある投薬治療。

この時間、痒みがどっと現れる。
この症状が改善できる期待がもてる、処方箋。

想像以上に大きい一粒だけど、それだけ期待がもてる一粒。

明日からはじめよう。

#不調時につぶやいたコメントにレスいただき、ありがとうございます。
“ありがとう”以外に言葉が現れず、応答すらできてなかった。ごめんなさい。

2011/04/23

身体障害者手帳と嘘

これまでのブログにも記載したものの、
身体障害者手帳所有者は、所得税減税措置が受けられる。

個人事業者は、確定申告時に申請すればいいのかな?
自分のようなサラリーマンは、総務や人事に、その手帳のコピーを提出しなければならない。

そっと“免疫障害”と記載されてる面は、コピーせず、
写真と承認番号と記載されてる面のみのコピーを提出した。

従って、あくまでも、自分がHIVであることは公言していない。

人事、総務系の従事者でリテラシーの高い人なら、
仲の善し悪しに関わらず、尋ねてよいこと悪いこと見極めつつ、会話してくれる。

“個人的過ぎる、あまり公にしたくない話なんだけど・・・” って手渡した担当者は、
その内容を見るや否や、仕事人の顔になって対応してくれたので、多くを語らずに済んだ。
ありがたい。

それでも、好奇の視点とは別に、
組織としてもフォロー策があるのであればという視点で、
勤務上の考慮すべきことがらがあるのであれば、伝えて欲しいという要望。

根拠なく身体障害者手帳を給付される訳がない訳で・・・。
業務上支障あることがら、考慮すべきことがらについての配慮・考慮としての有り難い言葉だ。
でも、もやもやっと語りだす言葉に、免疫とか感染症という言葉を本能的に避けてる自分を感じた。

結果的に、簡単に言えば、ごまかし、嘘をついた。


また、実はちょっと体力的な不安を感じている。
もうすぐ四十路な自分は、気持ちだけで仕事してるというか・・・徹夜続きを繰り返す中での、体力的な問題に直面してる。

皮膚炎症が激しいので、3種と軟膏を処方されてるが、今月から摂取量が倍増した。
飲むと眠い、体調によっては、頭痛や嘔吐を伴う、そんな状況。
それでも、ものづくりしてる仕事は好きだ。だから、やれてる。
年齢的には、組織上人の上に立つ立場。なにげなーく断ってきたいわゆる管理職。
プロジェクトの責任はとっても、組織としての責任までを負うことは避けてきた。

逃げ場感じず、こういう体調不良を理由に断った。

残ったのは、ついた嘘と、重ねた嘘。

症状的には偽りなくとも、根拠として偽ったことがまた自業自得。

そう感じる反面、公言する勇気はないのも事実。
表面的な自分、根幹的にいる自分、両者を感じた。

どうあるべきか?!を常に意識し、提案してる立場の人間が、
事情と都合で対応した矛盾過ぎる事柄。

薬を飲み続けるプレッシャーと同じように、突き通さないと行けない事柄を産んだ瞬間。

何もかもが偽りじゃないか?!と自分に対しては強く思う今日この頃。

ちょっと酒の力を借りたい夜でもあるな・・・。

2011/04/13

身体障害者手帳というもの

身体障害者手帳は、これからの治療にとって、無くてはならないものの一つである。
これがないと、簡単に生活は破綻してしまう。
厳密に言えば、様々なサービスが受けられず、高額医療費への負担軽減サービスも受けられず、高額医療費を負担することとなる。

自分の場合、身体障害者手帳申請時の月額薬品代は27万円ほどだった。一般の健康保険で負担するなら3割の8.1万円の負担となる。12ヶ月の1年間で、97万円を越える。1年間で100万円貯蓄すると想像すると、その壁の高さが感じられる。人によっては低い壁でもあり、高い壁でもある。毎月保険や税金でしょっ引かれる額に値する額だし、給与明細をみて、“税金高い!”と嘆き、“税金がなければ、もっと楽になるのに…”と思える訳で、そういう大きさの金額だ。

ここまでかかる医療費を、何とか軽減していくことが、純粋な死活課題になる。

3月下旬だったかな・・・。区役所から1通、郵便物があった。
受け取ってた際は、忙殺されてて開封もしないまま大事なものだろうと、しまい込んだままだった。開封すると、“障害者福祉手当認定通知書”とある。
身体障害者手帳を受領した時に、窓口で説明を受けた“わずかですが、高額治療にお役立てください”と言葉を添えられて案内されたものだ。少額でも心から有り難いと感じている。
自分の暮らす東京都では、都営交通無料乗車券も配布される。全員に配布されるが、配布自体は、本人の申請により発行されるそうだ。

HIVポジティブの場合、投薬治療開始を機に、身体障害者手帳の申請をする。概ね、HIV+発覚がエイズ発症でなければ、免疫障害の項目に該当し、3級として認定される。

エイズ発症を機にHIV+が発覚した場合、致命度合いに応じて、1級や2級の認定もあるそうだ。既にHIV以外で身体障害者認定を受けてる人は、既存の障害に免疫障害が追加合算されるため、エイズ発症で致命的でなくとも2級以上の認定がなされるらしい。

身体障害者手帳があって受けられるもの
  • 自立支援医療(更生医療)
これは高額治療に対して、補助が得られるもので、国の援助。
利用者は原則1割負担で診察を受けられる。
また、収入に応じて、自己負担額に上限が設定される。自分の場合は、HIVに纏わる治療費は、月額10,000円までとなる。それ以上かかった場合は、国が負担してくれる。
  • マル障(心身障害者(児)医療費助成 )
これも医療費軽減の助成制度で、都道府県単位の援助。
HIV以外で治療を受ける場合、医療費の負担は1割のみですむ。
“腰を痛めて整骨院で治療した”・・・腰を痛めたことがHIVに起因しない場合でも、
診察時に提示すれば、1割負担で治療が受けられる。
自分は東京都から交付されている。仮に隣の神奈川県の病院でこんな治療を受けた場合でも、区役所に申請に行かねばならないが、結果的には還付され1割の自己負担となる。
  • 税金の減免
これは国の制度で、自動車税や住民税、所得税など減免及び控除となる。
控除額は収入に応じて異なる。
  • 公共料金の軽減
・水道局は公的機関であるため、一定量の免除などがある
・NHKの受信料も免除される
・東京都の場合は、都営交通機関の無料利用券が発行される

ざっとこんな具合。

自分の場合、手帳申請前から月額10,000円以上の医療費を払っていた。HIV+としての定期的血液検査代と皮膚疾患の治療費。
結果、有り難いことで、今まで以上の医療費かからないことになる。こういう場合、楽観的に“得してる”と指摘されるのだろうか・・・。今後、どんな合併症で治療が必要になるのか漠然とした不安は大きなしこりとしてはらんでいるものの、何も起こらない可能性だってある。結果的に何も起こらなかったら、確かに、“得してる”ことになるんだろうな・・・。

そう思うと、この処遇が受けられることに感謝する反面、後ろめたさで萎縮してしまう。
投薬治療も始められなかったにも関わらず、1割負担で診察を受けたことがとても居心地の悪く、いつも支払っている差額の2割を赤十字の義援金に入れた。

親孝行と一緒で、こういうことはやった本人の自己満足にしかならないのだろうけど、後ろめたさは緩和されたように感じている。投薬治療が始まったら、恩恵を受けて浮いた分については、親のために使うか、将来の不安のための軍資金とするか・・・それくらいのことしか浮かばないが、こういう制度のおかげで、理性を失わず何とか現実を受け入れつつ過ごせてることに感謝する想いでいっぱいだ。

2011/04/12

見送られた投薬治療

東日本大震災の爪痕は、簡単には治らない。
自分の取引先でも、直接的な被害はなくとも、被災企業として特例の中で平常化を目指し日々奮闘中だ。
震災の影響は、間接的に生まれた。
クライアントからのFBに遅れが出たり、停電で作業が滞ったり。でも、“延期”という単語は現れはしない。4月を迎え、ギリギリまで奮闘し一部が無事にローンチした。でも、ギリギリまで奮闘しても受けた影響は追い上げには限界があり、2週延長。要件を少し変えて、今月末まで奮闘せねば。

一段落がようやく付けられそうになった4月始め、月1の検診に行ってきた。
練習用のビタミン剤、何とか飲んではいたけれど、決まった時間に飲めたことなどできなかったと自覚してる。

10時、20時、25時 この辺りが自分の3度のチャンス。守れたのは3月半ばまで・・・。

3月後半に入ると、まともな生活は送っておらず、週3回は会社に泊まった。 日の出に焦りながら、何とか翌朝までの目標を達成し、デスクや会議室で仮眠。 朝、出勤してきた仲間のざわつきで、飛び起きてメールチェック。そこからまたフィードバックに対応し、気がつけば、夕方だったり夜だったり…。
こんな毎日は続く訳がない。 ざわつきに気付き目覚めることも、そのうちできなくなる。 目覚ましにも、周りのざわつきにも、全く気がつかず、気付けず、目覚めたら6時間が流れてたり。

年中こんな状態ではないが、年に数回はこういう状況に陥ってきた。
診てもらって3年目の医師は、そういう自分のライフスタイルも知っている。“だからこそ、飲む時間を意識して欲しい”と。

  • 飲むタイミングを失っても、予定時刻の7時間以内に飲む
  • 可能な限り、1日2回確保する

或る意味、“観測不能”と自分は開き直っていて、冷静且つ当然のことを指摘する医師の言葉に、叱責や叱咤のように聞こえ、視線が右往左往しながら窓の外に広がる青空の1点を見つめる始末。

もう1ヶ月トライアルを行うこととなった。

帰り道、ピルケースを探して雑貨屋へ。消化する気持ちを高めるために、消化することへの達成感を持続させるために。

4月の定期検診は、血液検査だけで終えることになった。
仕事も同じだけど、気持ちだけでなく、行動で結果を出しつつ挑まねば・・・。
こういう気の遣い方が、仕事以外に出てくるのは正直ツライことだ。仕事は本能的且つ計画的に。余暇は本能的なものだけの中にゆくる穏やかな目標や望みをつないで成り立ってる自分だから。

でも、これをクリアしないと何も始まらない。そう追い込んでいるのは、誰でもない自分である訳で。次回の検診に向けて、One More を構築すること。なんだか成長不良に悩む社会人そのもののような気分。他人と比較しようもないことがパーソナリティ。吉と出すか、凶と出すかは自分次第。努力を認めてもらうのではなく、結果を認め合う時。

そんなことを思いながら、次回の検診に向けて挑む。

2011/03/17

身体障害者手帳受取


10日の深夜、帰宅したら自宅ポストに案内書が届いてました。
翌日、11日の午前中には会議もなかったので、早速受け取りに行きました。

11日、東日本関東大震災の日です。揺れました。確かに激しく揺れました。打合せが終わって、都市機能を喪失してしまった街を徒歩でオフィスへ戻り、テレビに映る光景に、ただただ唖然とするだけで、気持ちがついてこず、言葉も出て来なかった。10%でも20%でも頑張って働き、その分を募金へ。今はそういう気持ちでしか表せない無力さを抱きつつ、同じ地震を過ごしたものとしても、被災地へできる貢献をする。

受取時の持参内容は以下
  • 印鑑
  • 案内通知書
  • 申請月からの医療機関領収書

受け取ったのは以下の3点。
  • 身体障害者手帳
  • 心身障害者医療費(通称:マル障)受給者証
  • 自立支援医療(更正医療)支給認定決定通知書
#写真は身体障害者手帳と心身障害者医療費受給者証

HIV+のどのブログを見ても、やっぱり複雑な心境が綴られてるけど、自分も同じです。何とも言えない疎外感や劣等感、羞恥心とか…いろいろな感情が入り乱れてたように感じてます。
区役所を後にして、駅まで向かう道のり、ずっとすれ違う人の目を見ることができず、下を向いていたような気がします。

今回窓口を担当してくれた区役所職員の方、要領よくかいつまんだ説明をしてくれた。

  • 身体障害者手帳とマル障受給証は、健康保険証と3点1セットとして使用。
  • 自立支援医療(更正医療)支給者決定通知書は、医療機関に提出すればOK。念のため控えをコピーで保管しておくといい。
  • 加えて、3級の方は少額ですが、給付金があります。僅かですが、高額医療費にご利用ください。

最小範囲で必要事項をまとめてくれたように思う。
この手帳や受給者証を活用するのは、4月から。実際に医療費がどれくらいになるのか判らない中で、或る意味、自分は開き直っている。

“活用できる制度は全て活用している。その結果、どんな額になってもそれを受け入れるしかない”

そういう開き直り。

優遇されてる分、HIV+というその代償は、“免疫機能障害”と手帳に記載され、自分はHIV+ですと公言してるようにも感じる。
このブログと同じで、唯一公言できてる場所のように感じる。

2011/03/11

身体障害者手帳のご案内

こんなタイトルの用紙が区役所の茶封筒に入って今日届いた。
そして、同じく今日、先週行き損じた検診にも出向いてきた。


まず、問題の投薬開始については、激務期であることを考慮して延期となった。
深夜か明け方か判らないが、数時間は眠れている状況ではあるものの、まともなサイクルではなく、自分時計も体時計もよく判らない。皮膚疾患の炎症を抑える薬も、極度に眠気を誘うもので、その処方薬も寝坊が怖くて飲めなかったりしている。稼働時間も睡眠が少ない状況で飲むと、これまた脱力感というか虚無感というか、“ぼーっと”意識が遠くにいってしまうため、支障感じて飲めなかったりしている。
そんな状況で定期的な摂取をマストとする投薬治療は、延期された。

そして、身体障害者手帳の申請書の記載内容に自覚症状との乖離を感じていた自分。
ソーシャルワーカーが話しをしてくれていたようで、担当医からこんな言葉を受けた。

“アレルギー症状の皮膚疾患があるから、平均よりも早めに投薬開始を行い免疫機能の現状維持を最低でも維持する。また、向上させることへの取り組みであることをまず覚えていて欲しい”
“申請書の件は、内容に違和感があったかもしれないけど、投薬開始を行うための身障者認定への配慮したものだから、心配しないで。”

なんだろう、予想通りの言葉に少し残念な気持ちだった。
今更、HIV+が誤診だった。なんてことはないはずなのに、どことなく冷たくも温かくもなく痛みも安堵もない壁に挟まれたような… 直視すべき現実を淡々と突きつけられたんだろう。

採血検査も次回。
先週、行き損じてしまった故、他の2つの診察は予約外だと時間もなく見送り、皮膚科とHIVの2科だけで終了。

医療費も、処方薬込みで4,000円弱と嵐の前の静けさのように感じられた。


さて、身体障害者手帳も承認された。ここからの課題はやっぱりHIVへの投薬治療。

ビタミン剤で練習を行うこととなり、処方薬受け取り時には薬剤師さんといろいろ話した。
結果、自分のような昼夜関係なく睡眠も仮眠の積み重ねのような場合、食事時間も不規則なので、確実に飲めそうな時間帯を探すことから始めよう!と。

意識のない自分には、意識することから始めるゼロスタート。
食前食後に左右されない薬で検討する方向だとか。
有り難い配慮であり、オフィスで業務中に飲まなくてはいけないのか?不安もある措置で、何とも言えず、目の前の課題にどう対処できるのか、少しずつ自分なりの歩み寄りを行う他なし。

少しずつ… やっていこう。
ビタミン剤、今、飲んだ。

2011/03/06

Dayta

医師とのコミュニケーションって、みんなどうしてるんだろう?

皮膚疾患が酷くなると、写真を撮って、それを医師に見せたり。
通院するときに、必ずや酷い状況だということはなかったりするので、こんな状況で痒みが酷いとか赤みを持つとか、自分が感じる不安を言葉無くして、伝え共有する。

投薬開始にあたって、何らかログを残しながら挑めればと思うものの、要となるCD4値もきちんと記録出来ればいいな…。

自分はiPhoneを使ってるので、不調時の所感や皮膚具合をメモったり写真撮ったりしてるものの、効率よく管理できるアプリを探してました。

Dayta。これなんかいいかな?

数値系なら何でも対応できるログアプリ。グラフとして視覚化できるのも有り難い。

既にレポートされてるサイトがあるので、参照まで記載します。
http://www.elegant-apps.com/apps/dayta/
http://mickymac.blog2.fc2.com/blog-entry-668.html
http://www.hw2-suito.com/archives/132 

自分の意志とは別に生きる自分の体を知るために活かせるといいな。
他にも活かせるものがあれば、是非是非教えてください。

2011/03/05

Hurdle

行き損じた。投薬開始となる診察。

忙殺気味な状況ではあるが、さすがにほぼ徹が続くと、疲弊してしまう。
“8時起床→翌日5時帰宅”を数日繰り返した結果、診察日には目覚ましにも会社からの電話にも気付くことなく、目覚めたら午後過ぎてる始末。

今回から診察日は形は休暇ということにしてる。
投薬開始で、処方された薬をたんまりと会社に持っていくことは避けたいし、投薬開始前の現状ですら既に、皮膚科だの内科だの薬はたっぷりと受け取っている故に、スーパーの買い物帰りのような荷物になってしまうから。

多忙な結果、診察日すら疲れ切って向かえなかったりしてる状況で、投薬がもたらすルールや継続に自分は対応できるんだろうか? そういう自問自答が、寝坊で一気に目が覚めた矢先に溢れてくる。規則正しくない自分なりのハードル。

結局、開き直って出社予定の夕方までのんびりと休息することにした。
予約はないが、診察はまた来週、行けばいい。HIVと皮膚科だけなら正午には終了できてるだろうし。

こんなに忙殺される生活のなかで、“いつHIVに感染する時間があるんだ?!”と我ながら思う。忙殺された毎日、ゲイエリアには近づかない日々。そんな自分に、自分で突っ込みを入れたくなる。

忙しくはしてるが、土日、割と休める時期だって状況に応じてちゃんとある。
恋は盲目というけど、睡眠時間を削っても“会いたい”と思える人が、その昔はちゃんといた。
その後、しこりが残るようなトラブルもあったりで、くっついたり離れたりを繰り返し、今は離れてる。もう会う機会はないと思う。

自分は、ゲイのSNSで何人かと出会った。セックスに至った出会いもあるが、そこまでには至らず、たまにメールを交わす知人にも巡り会えた。故に、これまでにセックスした相手は、無論、時間を削って夜な夜な会いに行った彼以外にもいる。ただ、リスクのあるセックスをしたのは、その彼だけ。

もちろん、アナルセックス以外にも感染リスクは存在することは承知してるが、感染時に起こると言われる発熱などの諸症状は、彼と付き合ってる期間の出来事で、付き合ってる期間には、他者とのセックスはなかった。

自分がHIVへの感染を疑った時、当然のように相手へ疑念を持ち、疑念をストレートにぶつけられずにいた。うっすらと自分以外ともセックスをしてる人がいることは感じてたものの、また、自分も彼にとってはそういう体だけの関係の中のひとりと自覚するのも避けてるように感じ、微妙な疑念が形を変えて表面化する嫌味が関係を悪化させたりもした。

そういうふうにしか対応できない自分、疑る姿勢だけの自分にも嫌気を感じ、しばらくたってから、やっと一緒に検査を受けることを提案することができた。

結果、2人とも+。

検査結果の帰り道、“支えていく関係で頑張ろう” とどんな目的に向かってるのかも判らない自分の姿勢とは反対に、検査結果の動揺なのか、彼はいろんな言葉を発しながら、何気に酷いことも言ってたり。 支え合うことを掲げてはいても、自分も自分がかわいいのだろう、溢れてくる不安に飲み込まれ何もできず、HIV+であること、ゲイであることを忘れるように、仕事に励み、仕事仲間と飲んだくれたり。余計なことを考えないように無心で泳いだり。

元気かな? 病院ちゃんと行ってるかな? と余計なお節介と共に、彼のことは思い出す。
唯一、自分がHIV+であることを知る彼だし。

それなりの時間が流れて、自分と向き合う時間も持てたりで、 幸せな気持ちで毎日眠りにつけられるよう自分なりに歩ければいいかと。

HIV+な自分にとって、恋するハードルは高く険しいものだけれど、未来のハプニングを歓迎する自分でいたいな。

そんなことを考える時間があったら、目の前のこと片づけ、来週、無事に検診に行けるよう、時間を捻出しなければ…。

2011/02/27

CD4の意

身障者手帳の申請は完了した今、投薬治療の開始を医師と共に見極める次回の検診を待つのみ。

何もまだ始まってないからか、漠然とした不安は溢れてくる。
  • 継続的な視点 
  • 経済的な視点
  • 精神的な視点
あらゆる部分でそれぞれあるように感じてる。

HIV検査の結果、“陽性=直ぐに投薬治療開始”という訳ではない。
血液1マイクロリットル(μl )あたりのCD4値が300〜500を下回ると投薬治療が開始される。

300〜500/μlという基準値は、医療進歩と共に変化しつつもあるようで、国単位で、医師単位で少しずつ異なる。日本では、アメリカ保健社会福祉省(US DHHS)の指針に基づいているようで、検査時からお世話になっている医師は350μl を基準値とし、陽性判明後からの経過検査を年6回(2ヶ月に1度)の頻度で行ってきた。
陽性結果を受けた時の説明通り、CD4値は緩やかに減少し、350/μl を下回ると、毎月採血検査を実施し、同時に投薬治療開始のタイミングを見計らっているという状況。

このCD4値、自分はHIV陽性になるまで知ることもなかったのだけれど、年齢と共に減少するもので、個人差もあるもので、自分なりに“血液年齢”と理解してる。

そんな項目名をこのブログのタイトルにしたのも、今後もこの数値の動向が要になり、この数値が左右することの大きさに不安を感じているからだ。
ブログを始めたのには、こんな不安を気持ちだけでも分散化できるかな?と感じたから。

そう感じたというより、本能的に不安を分散化するはけ口を持たなければ、自分が破綻してしまいそうだから。恐らく、HIV関連のブログには、多かれ少なかれ、そういう想いはあるんだと思う。

自分は、自分がゲイであることすら周囲に告知していない。ましてや、HIV+であることは誰にも言えていない。ゲイで在りながら、ゲイ社会が苦手で知人・友人が少なく、パートナーもいないし、新たな関係性を築こうにも、築くことなんて出来るか否かもわからない。良くも悪くも、自分が持っている堅い殻があるから、踏ん張れている気もする。ただ、踏ん張れたところで、何の解決も出来てない、出来ない自分に失望したり。

ゲイであるという性的マイノリティーの中で、更にHIV+という病的マイノリティーも加わって、自分と向き合う場所をここに求めてるんだと感じてる。

投薬治療をしないと、確実にエイズ発症となり死す。一見、健康そうに見えるけど、生死を選択する岐路があって、自分は投薬治療開始として生を選択してる。死を意識することができて、初めて生を意識できる。死に対する不安より、生に対する不安が大きいから、自分なりに不安をほぐせる場所を。

幸いにも、このブログを介したりTwitterでフォローしあったりで、出会えた人たちがいる。精神的には医者よりも、ソーシャルワーカーよりも、頼もしい存在なのだと思う。
出会えた方々に、感謝!ありがとうございます。これから出会える方々、宜しくお願いします。

2011/02/22

申請手続完了

  • 身障者手帳 3級
  • 自立支援医療(更正医療)

この2点の申請手続きを行って来ました。
自分は23区内なので、申請場所は共に区役所。2つの申請は同時に行えた。
ソーシャルワーカーと手続き対応を行っていただいた方を呼んで、申請。

以前、免疫障害が障害者認定の対象となった当日の各受付窓口を訪問してレポートしていた記事を読んだ。
LAPS:窓口の対応は大丈夫?翔太が行く、身体障害者認定申請への道 

この記事を参考にすると、自分が行った窓口は残念な結果だったんだろうと思う。
窓口でいくつかの書類にサイン・捺印をするのだけれど、なんとも自分の診断書が無造作に窓口に置かれたりしてた。
決して窓口の人は悪意ある訳でもないことは百も承知なんだけど、申請用紙は自分の分身のようなもので、それが行く当てもなく放置されてる感があって、何とも淋しく感じた瞬間でもあった。

予想外に、あっけなく終わり、詳しい説明は特になかった。
実際に発行され受け取りに再度訪問した際、審査結果を踏まえ、詳細説明があるのだろう。

発行完了は郵便で発送
発行案内書、印鑑、申請月以降の診察領収書を持参のこと

ばっくりと受け取り時の案内をもらった。
それと、冊子「障害者福祉のしおり 平成21年度版」。

受領までには、30日〜40日を要するという。
東京都の場合、どこの市町村区で申請しても1カ所に集められ、そこで審査・発行など行うとのこと。各市町村区では週に2回の集荷で提出する。恐らく配布も週2回なんだろう。区役所に到着し、それから個人に案内を郵送。発行完了の報告は、そうやって自分の手元に届いてくる。

人ごとのようで、人ごとでなく。
何だか複雑な心境ではあるが、前進あるのみ。

2011/02/21

申請に行こう

土曜日は1日を費やし休息。
インフルエンザでもなく、ただの疲れか風邪か…だったようでホッとしてる。

自分は、普通のサラリーマン。
普通のサラリーマンと違うとしたら、就業時間がひどいことくらいだろうか…。
敢えて、言及した表現はしないけど、就職・転職的カテゴリーは“クリエイティブ”となる。
不規則加減については、何となく想像してもらえるかな…。

土日はまず無い。
働き方は人それぞれだけど、月曜日丸い一日をメールを整理しつつタスク整理や要件整理にだけ費やすのは、何ともストレスフルになってしまうので、自分には、土日の仕事は苦になるようでなってないのも現状だな。

頼もしく、共に安息の時間を過ごせる旦那や相方と呼べる存在があると、また違うのだろうけど…。

年度末に向けて、多忙加減は増すばかり。
日曜日だった本日、仕事を片づけながら、身体障害者手帳の申請のこと、振り返るように考えてみて、結果的に申請には出向こうと思う。

理由は1つ。
  • 今出来ることは、今やれることは、やっておこう!

年度末に向けてスケジュール整理をしてたら、月1回の検診でさえ出向くのが惜しい。
自分は今、拠点病院で4科を受診していて、半休程度の時間確保では終わらないから。

“こんな大事な時に…”と関係者が感じるなら、それ以上に自分はタスク調整にも追われてしまうことは分かってるし、先手先手でリスクを回避するのも自分の業務だし、玉突き合うタスク調整に追われるだけの消化だと、仕事が先に進まない。結果、自分のストレスにも繋がってしまう。

こんな状況下の中だと、仕事に専念する体制を作れることは、自分には有り難い。

自分は “投薬開始=身体障害者手帳手配開始” と開始と手配を同時期と捉えていたけど、段取りのよい医師の場合、“投薬開始検討=身体障害者手帳手配” のようだ。
備えることで、いつでも医師のジャッジを受け入れられる自分でいれば、いいのだろうな。

2011/02/19

申請書完成

ソーシャルワーカーより書類が出来たと連絡あり、その場で必要事項を記入しつつ完成した申請書類を持ち帰ってきました。

“免疫障害”とか“HIV感染”とか、そういう文字が一際目立つ。 病院からオフィスへ戻って、中身を見たいが、そんな書類をデスクで見ることはさすがにできず、鞄に忍ばせたまま帰宅。

そして、内容を一読して、何とも言えない躊躇心が生まれた。

記載されている診断内容が、自分の自覚症状と相違あるから。

この用紙の右側には、有無を回答する以下のような質問項目がある。
  1. 1日1時間以上の安静臥床を必要とするほどの強い倦怠感および易疲労が月に7日以上ある 
  2. 健常時に比し10%以上の体重減少がある 
  3. 月に7日以上の不定の発熱(38℃以上)が2ヵ月以上続く 
  4. 1日に3回以上の泥状ないし水様下痢が月に7日以上ある 
  5. 1日に2回以上の嘔吐あるいは30分以上の嘔吐が月に7日以上ある 
  6. 表2に示す日和見感染症の既往がある 
  7. 生鮮食料品の摂取禁止等の日常生活の制限が必要である 
  8. 軽作業を超える作業の回避が必要である

診断書では、3項目。皮膚疾患の薬の副作用もあるかと思われるが、自覚では4項目。
また、記述式の「参考となる経過・現症」では、自覚よりひどく記載されてたり、その逆もまたあったり。

自覚とは相違する記載内容に“これは本当に担当の医師が書いたものなんだろうか?”、“カルテの誤読?”とよぎったり…。

翌日の今日、ソーシャルワーカーに電話して、一応確認。
  • 担当医が書いたものを、指定医が承諾発行したものであること
  • 自覚症状通りに変更しても、身障者手帳認定範囲であること。また、等級も3級の申請範囲であること
との応答を受けた。
なんでも、2級と3級とでは、大きな差があるらしい。
障害手当の受給対象になったり、ならなかったり。また、所得税の控除額も約倍違ったり。

論点はそこではなく、自分が躊躇心を頂いたのは、“投薬開始が必須と診断されたのか、否か”。そこだけ。
自覚症状と異なる記載があると、投薬治療開始の信憑性を疑念してしまう。
  • 申請内容に大きな差はない
  • 投薬治療の判断は医師に基づく
この点から、ソーシャルワーカーは申請を促すのだけれど、自分としては、相違する違和感について、電話でもいいから医師からの言葉が欲しい。
そう応答する自分に、納得のいく方法で申請を行って欲しいと自分の意志を尊重していただいた。

既に投薬開始されてる方々のブログから、投薬開始の抵抗感や緊張感は和らいでると思ってた。直接、不安な自分を察して、温かいコメントもいただいたり。

投薬開始がもたらす環境や生活の変化に、まだびびってるのだろうな…自分。
心のどこかで、“まだ開始しなくてもいいんでしょ? だって自覚と違うもん。これに合致してると投薬必要だから、身障者手帳も申請するんだし…。投薬開始する必要なかったら、申請しなくていいんだし…”とか、めぐる。

そんなことを、頭の隅に思いながら仕事したら、発熱してた。
少し会社のソファーで横になって、帰宅。
上がりきったのか、少し楽になったので、ブログを。

たっぷり寝て、明日には不安を払拭できてるのかもしれないのかな? かわんないかな…
ただ、医師が投薬治療を開始しようとの診断の際、身障者手帳の申請を行ってないことを告げたとき、“今すぐはじめなくちゃいけないって訳ではないから、安心してください”と言われたことも、心の中で投薬開始が時期尚早だったりもするのかもと気にしてたり。

往生際が悪いのかな?自分

2011/02/12

身障者手帳申請方法

前記事に記載したソーシャルワーカーの力添えもあって、申請手続き進行中。

自分の通う病院は、エイズ治療拠点病院です。
もともとは、HIV検査を受けた土日診察している小さな病院に通院してました。
エイズ症状として想起されやすいカポジ肉腫ではなく、蕁麻疹や湿疹やら皮膚疾患があり、皮膚科に通う目的もあり、総合病院で診察を一元化させることを機に通院開始。

拠点病院だからか、医療体制や福祉体制など医療を発端とする体制整備はとても充実しています。

既存のブログを参考に情報を探ってると、この身障者手帳申請方法もいろいろあるようです。
いろいろは、各居住地域の市町村単位で少しずつ異なります。

自分は東京都23区内在住のため、申請は在住区役所にて行います。

  • 申請場所
    • 居住地の市町村区役所 

“こういう申請手続きって方法も複雑なんじゃないのか???” 
申請しなければならないこと。そこが区役所であること。それを理解しても、具体的な申請方法に何が必要で何をどう申請すればいいのか?
  • 申請に必要な書類
    • 申請書
    • 診断書 
    • 証明写真 
    • 印鑑 

書類はこの2つだけなのだが、記入者は自分・医師・病院と3者必要。
そうなると、「取り寄せ→記入→医師/病院提出→医師/病院記入→回収→申請」の過程が必要となり、平日に行うことが望まれる状況のため、休暇も必要となる。

自分の通う拠点病院では、この一連の手続きをソーシャルワーカーが代行してくれるという。

  • 申請手続きの進め方
    • 自分で行う
    • ソーシャルワーカーに全て一任する
    • 自分とソーシャルワーカーで分担する

自分は、3番目を選んだ。
申請するものは「身障者手帳」。雑踏の中で他人から見れば、自分は健常者だろう。
そんな自分が、できることを全て協力者に委託するというのは、気持ち的にも宜しくない。

  • 自分が選択した申請手続きの進め方
    • 申請書の郵送取り寄せから医師/病院の記入までを委託
    • 回収と申請を自分で行う

理由は、申請までの時間短縮のみ。自分で書類と印鑑を持って、区役所で申請することにした。
申請要因はHIV。
もしここが生まれ育った小さな街の区役所や役場なら、同級生や知人がその窓口をしてるのかもしれない。幸い、東京という大都市の中の自分は小さく、区役所に勤める知り合いもいない。
しかしながら、申請時に自分がHIVと認知されることには違いないのだけど、心のどこかで恥じているHIVな自分への戒めのような気持ちもどこかにあって、そうすることにした。

今は、ソーシャルワーカーで進めていただいてる内容の完了を待ちながら、申請時に使用する証明写真を撮影するのみ。


2011/02/06

投薬治療開始前

投薬治療(HAART)が決まると、いろいろな意味で自分がHIV+であることを知らされる。
これまで、医師と看護婦と患者である自分の3名の関係から、2人が加わる。 閉鎖感のあるこれまでに対して、自分が社会生活をどう過ごしていくのか、現実的な問題が表面化していく。

  • ソーシャルワーカー
投薬治療には高額な医療費がかかる。それに対する各種利用制度についてレクチャーを受けたり、自分が今後どう生きていけるのか、生活保障の視点からよき相談者となる人。
各種利用制度は、以下の2つ。
・身体障害者認定を受けること
・身障者障害者認定後、障害者自立支援法による障害者医療費助成制度を受けること
一方的に説明される一語一句を頭に叩き込むことで精一杯。
  • 薬剤師
治療に使われる薬は多種存在していて、症状やライフスタイルで選択される。
仕事柄不規則なライフスタイルを余儀なくされている自分には、「一生、飲み続ける」ことに欠かせない相談者となるのだろうな。


一通り面談を終えて、この日1日で、いろんなことが変わりそうな不安やこれから始まる投薬治療にどう向き合えるのかの不安とで心がざわつき落ち着きをなくしてしまうな…。一つひとつ、目の前のことをこなしていくなかで、考えていこうかと。

まずは、生活の中で投薬を意識することと身体障害者申請を進めていくこと。
これからかかる医療費に対して備えていこう。

HAART

先日の治療で「HAART開始」と宣告されました。

HAARTとは、
Highly Active Anti-Retroviral Therapyの略。
訳すと....「とても協力な抗HIV療法」というところでしょうか…。

2010年12月の血液検査でCD4:254。初めて300を下回り、再検査へ
2011年1月の血液検査でCD4:325。300オーバーではあったが、HAART開始を宣告されました。

自分はHIV+です。
2008年9月、HIV+と診断されました。
 訂正:2009年9月と記載してましたが、2008年9月の誤りでした
そのとき既に多くのHIV患者の方がブログでその日々を綴っていたり…。
そのブログを垣間見つつも、往生際悪く、どこかで“自分は本当にHIV+?”と思い描いたり。

HIV+と診断されてからは、
2ヶ月に1度は血液検査、その結果を翌月に確認しにいくというスタイルで通院しています。

既存のHIVブログでは、多くのものを学ばせてもらいました。
自分には、そういうブログは書けないものの、自分の記録として、投薬開始を機に始めました。