2011/04/12

見送られた投薬治療

東日本大震災の爪痕は、簡単には治らない。
自分の取引先でも、直接的な被害はなくとも、被災企業として特例の中で平常化を目指し日々奮闘中だ。
震災の影響は、間接的に生まれた。
クライアントからのFBに遅れが出たり、停電で作業が滞ったり。でも、“延期”という単語は現れはしない。4月を迎え、ギリギリまで奮闘し一部が無事にローンチした。でも、ギリギリまで奮闘しても受けた影響は追い上げには限界があり、2週延長。要件を少し変えて、今月末まで奮闘せねば。

一段落がようやく付けられそうになった4月始め、月1の検診に行ってきた。
練習用のビタミン剤、何とか飲んではいたけれど、決まった時間に飲めたことなどできなかったと自覚してる。

10時、20時、25時 この辺りが自分の3度のチャンス。守れたのは3月半ばまで・・・。

3月後半に入ると、まともな生活は送っておらず、週3回は会社に泊まった。 日の出に焦りながら、何とか翌朝までの目標を達成し、デスクや会議室で仮眠。 朝、出勤してきた仲間のざわつきで、飛び起きてメールチェック。そこからまたフィードバックに対応し、気がつけば、夕方だったり夜だったり…。
こんな毎日は続く訳がない。 ざわつきに気付き目覚めることも、そのうちできなくなる。 目覚ましにも、周りのざわつきにも、全く気がつかず、気付けず、目覚めたら6時間が流れてたり。

年中こんな状態ではないが、年に数回はこういう状況に陥ってきた。
診てもらって3年目の医師は、そういう自分のライフスタイルも知っている。“だからこそ、飲む時間を意識して欲しい”と。

  • 飲むタイミングを失っても、予定時刻の7時間以内に飲む
  • 可能な限り、1日2回確保する

或る意味、“観測不能”と自分は開き直っていて、冷静且つ当然のことを指摘する医師の言葉に、叱責や叱咤のように聞こえ、視線が右往左往しながら窓の外に広がる青空の1点を見つめる始末。

もう1ヶ月トライアルを行うこととなった。

帰り道、ピルケースを探して雑貨屋へ。消化する気持ちを高めるために、消化することへの達成感を持続させるために。

4月の定期検診は、血液検査だけで終えることになった。
仕事も同じだけど、気持ちだけでなく、行動で結果を出しつつ挑まねば・・・。
こういう気の遣い方が、仕事以外に出てくるのは正直ツライことだ。仕事は本能的且つ計画的に。余暇は本能的なものだけの中にゆくる穏やかな目標や望みをつないで成り立ってる自分だから。

でも、これをクリアしないと何も始まらない。そう追い込んでいるのは、誰でもない自分である訳で。次回の検診に向けて、One More を構築すること。なんだか成長不良に悩む社会人そのもののような気分。他人と比較しようもないことがパーソナリティ。吉と出すか、凶と出すかは自分次第。努力を認めてもらうのではなく、結果を認め合う時。

そんなことを思いながら、次回の検診に向けて挑む。

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