2011/02/27

CD4の意

身障者手帳の申請は完了した今、投薬治療の開始を医師と共に見極める次回の検診を待つのみ。

何もまだ始まってないからか、漠然とした不安は溢れてくる。
  • 継続的な視点 
  • 経済的な視点
  • 精神的な視点
あらゆる部分でそれぞれあるように感じてる。

HIV検査の結果、“陽性=直ぐに投薬治療開始”という訳ではない。
血液1マイクロリットル(μl )あたりのCD4値が300〜500を下回ると投薬治療が開始される。

300〜500/μlという基準値は、医療進歩と共に変化しつつもあるようで、国単位で、医師単位で少しずつ異なる。日本では、アメリカ保健社会福祉省(US DHHS)の指針に基づいているようで、検査時からお世話になっている医師は350μl を基準値とし、陽性判明後からの経過検査を年6回(2ヶ月に1度)の頻度で行ってきた。
陽性結果を受けた時の説明通り、CD4値は緩やかに減少し、350/μl を下回ると、毎月採血検査を実施し、同時に投薬治療開始のタイミングを見計らっているという状況。

このCD4値、自分はHIV陽性になるまで知ることもなかったのだけれど、年齢と共に減少するもので、個人差もあるもので、自分なりに“血液年齢”と理解してる。

そんな項目名をこのブログのタイトルにしたのも、今後もこの数値の動向が要になり、この数値が左右することの大きさに不安を感じているからだ。
ブログを始めたのには、こんな不安を気持ちだけでも分散化できるかな?と感じたから。

そう感じたというより、本能的に不安を分散化するはけ口を持たなければ、自分が破綻してしまいそうだから。恐らく、HIV関連のブログには、多かれ少なかれ、そういう想いはあるんだと思う。

自分は、自分がゲイであることすら周囲に告知していない。ましてや、HIV+であることは誰にも言えていない。ゲイで在りながら、ゲイ社会が苦手で知人・友人が少なく、パートナーもいないし、新たな関係性を築こうにも、築くことなんて出来るか否かもわからない。良くも悪くも、自分が持っている堅い殻があるから、踏ん張れている気もする。ただ、踏ん張れたところで、何の解決も出来てない、出来ない自分に失望したり。

ゲイであるという性的マイノリティーの中で、更にHIV+という病的マイノリティーも加わって、自分と向き合う場所をここに求めてるんだと感じてる。

投薬治療をしないと、確実にエイズ発症となり死す。一見、健康そうに見えるけど、生死を選択する岐路があって、自分は投薬治療開始として生を選択してる。死を意識することができて、初めて生を意識できる。死に対する不安より、生に対する不安が大きいから、自分なりに不安をほぐせる場所を。

幸いにも、このブログを介したりTwitterでフォローしあったりで、出会えた人たちがいる。精神的には医者よりも、ソーシャルワーカーよりも、頼もしい存在なのだと思う。
出会えた方々に、感謝!ありがとうございます。これから出会える方々、宜しくお願いします。

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